敵のいない山さん

2001年11月1日プロ野球マスターズリーグが開幕した。
5球団の構成で、5大ドームを本拠地にしたマスターズリーグは、札幌・山内一弘、東京・土橋正幸、名古屋・近藤貞雄、大阪・吉田義男、福岡・稲尾和久を監督としてスタートした。
山内氏以外は地元球団出身で、記録・記憶とも申し分のない選手であり、監督としてすんなり応援に肩入れできる人物達だった。

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では、札幌は?
今でこそ北海道はファイターズが本拠地としているが、当時はまだ地元球団がなく、年に1度の丸山球場での巨人戦の影響もあり、巨人ファンが大多数であった。
そのため、札幌アンビシャスのチーム構成も巨人OBを中心としたものであった。
ならば監督は長嶋氏?王氏?…?
しかしながら2001年時、ご両名ともNPBの監督在任中でした。

ではなぜ、山内氏になったのでしょうか?
それは当時、全国野球振興会理事長・大沢啓二氏の推薦によるものでした。
大沢氏いわく「山さんは敵がおらんのよ」
そんな事が監督人事に関係するのか?とういのが、正直な気持ちでした。
しかし、いざ球団構成をしていくと、
「あいつがマスターズリーグにはいるなら、俺ははいらん」
「あいつがその球団ならば、違う球団にしてくれ」
といった声がちらほらと…
敵がいない事は、個性豊なプロ野球選手をまとめ上げるには、必要な条件なのだと感じました。

そんな山内氏とマスターズリーグ開幕前に、新聞社やテレビ局、市役所等の広告宣伝を兼ねた挨拶周りを札幌でして頂いた時の話です。
夕食時に寿司屋をご一緒していると
「札幌といえば我喜屋やな、ちょっと電話するか」と
呼び出され、お見えになったのは我喜屋優氏でした。
「お前も食べていけや」
と勧める山さんに、ご挨拶だけしてお帰りになった我喜屋氏。
当時私はまだまだ球界に疎く“我喜屋さん”がどのような方がわからず、名刺交換もままならず、挨拶のみの対応となってしまいました。

「ありゃ、大昭和の我喜屋や」
そうおっしゃる山さんでしたが、
私は「そうなのですか」とうなずくのみでした。

2010年、沖縄・興南高校が春・夏の甲子園を連覇した時、ふとテレビを中継をみていると、優勝監督としてスピーチしていたのが、あの我喜屋氏だったのです。

「あぁ山さん、なんでちゃんと紹介してくれなかったのか…」
と心の中で、天国の山さんに毒づいた私でありましたが、
野球の虫といわれた山さんの人脈は、プロ野球にとどまらず、あらゆるとこに存在していたの実感しました。

それもそうだ「山さんは敵がおらんのよ」

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